最近、毎日のように子供に対する悲しいニュースが目立ちます。
母親と父親は子供に対してどう関わっていけばいいのでしょうか?
ユニティ・デザイン『自立のアクセスサイト』から、竹下雅敏さんの講話録
『子供たちの心を感じられますか(4)-7歳までの子供との関わり方-』
一部抜粋してご紹介します。
転載元はこちら http://www.unity-design.jp/jiritsu/syousassi-kdm4.html
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今回は、7歳までの子供との関わり方を中心にお話しします。
7歳までが子育てや教育の急所です。
この時期までの子育てがわかると、後の子育てはとても簡単になります。
ちゃんと育てると反抗期というのは全然ないものです。
反抗期というのは3歳前後で始まりますが、多くの大人が子供の反抗期で手を焼いてしまうのは、子供の独立要求という「自分が大人と同じようなことが出来るんだ」という意志表示をするその気持ちを大切にしないで、「お前はわがままだ」という風に見てしまって叱ってしまう、すると子供が反発するので、一見反抗期に見えるのです。
ですからそういう時期に、きちんと子供を誘導出来るものの見方が出来ればいいのです。
。。。。。。。。。。中略
ちゃんと育てるということは、十分に愛情深く育てる、簡単に言えば十分に抱くということです。
子供を育てる時の急所は、これでもかという位抱くことです。
子供が起きている時はずっと抱いているという位に抱くことが大事です。
これは猿の実験などで証明されています。
猿にも偉い母親とそうでない母親がいて、愚かな母親は子供を全然抱かない上に、子供の餌まで取っちゃうんです。
その母親に育てられている子猿は、本当に貧相で可哀想な顔をしています。
いつもイライラしていて、おどおどしてる。
ところがもう一方の偉い母親は、いつも子供を抱いている。
子猿はいつも母親にしがみついていて、顔が全然違う。
情緒が安定していて、落ち着きがある。
それを見ても十分わかるんですけど、科学者というのは見ただけでは満足しないで、血液を採取してその血液中の成分を調べてみました。
すると、セロトニンという物質の量が全然違うということがわかりました。
脳内物質のセロトニンが多いほど心が落ち着いているということですが、それが倍以上違うんです。
科学者は「3歳までにセロトニンの量が決まってしまう、それ以上は増えない」と、恐ろしいことを言っています。
私はそうは思っていなくて、多分非常に大きな意識の変換などの何かのきっかけで変わるでしょう。
けれども通常はなかなか変化しないかもしれないですね。
これは猿だけじゃなく多分人間も同じだと思うんです。
3歳位まで非常に落ち着いた環境の中でゆったりと十分に大切にされて育った子供というのは、セロトニンの量が多く、そうされなかった子供のセロトニンは少ないと思うのです。
かなり怖い話ですね。
要するに猿の実験からもわかるように、その差は十分に抱かれているかどうかで決まるのです。
。。。。。。。。。。中略
建築家など世界的に創造的な仕事をしている人たちは、子供の頃に野山でたくさん遊んでいるそうです。
そしてそういう人たちは皆、勉強しすぎると馬鹿になるよと同じことを言います。
私もそう思います。
子供というのは知りたいという欲求をみんな持っている。
自由に学ばせたら、どんどん自分から学ぶんですね。
本当は勉強はとても楽しいものです。
学ぶという楽しさを知っている人は一生学び続けます。
ところが小さい頃から無理矢理勉強させるから、勉強が嫌になるのです。
疲れ切っている。
大学に行ったらこれで解放されたと思って全然勉強しない、社会に出ても勉強しない大人になる。そういう人と、学ぶことの楽しさを知って一生勉強し続ける人とでは、後にどんなに差がつくことでしょうか。
文字や計算を教えるより、もっと大切なことを教えないといけない。
それは、ちゃんと人の話が聞けるということです。
学校で教師の話をきっちりと聞ける子供というのは、とても頭が良くなるものなんですよ。
どうやってそういう子に育てるかというと、親が子供の言っていることをちゃんと聞かないと無理です。
親がちゃんと聞く姿勢や態度を示さないといけない。
なぜなら子供は親と同じ様に振る舞うからです。
そういう風に育てようと思ったら、今の生活は忙しすぎて、親にゆとりが無さすぎる。
親が生活に追われていて、子供の話をゆったりと聞く時間が無いんです。
「何してるの、ぐずぐずしないで早くしなさい」という生活です。
そうやって育てられると、子供は、「自分はグズだ、のろまだ」と思います。
そのうち「自分は無能だ、馬鹿だ」と思うようになる。
すると本当にそうなっていきます。
それでは全く逆をやっていますね。
子供のペースは一人一人違いますのでそれを認めてやって、子供のペースで生活を形作ってやるだけの余裕がこちらに無いといけない。
そんな余裕が実際問題として大人の方に無い。
これが最大の問題ではないかという気がするんです。
そういう意味で言うと、大人が心のゆとりをもてるかどうか、そちらの方が子供を育てることに関して非常に大きな問題だと思います。
私は1歳半位までたくさん子供を抱くことが本当に大事だと何度も言いますけど、抱いている時に考えごとをしていたら、これは抱いていることになっていないのです。
心の中で、明日の会議のこととか、仕事のセールスのこととか、夜の晩ご飯のおかずは何にしようかとか考えていたら、物を抱いているのと同じです。
子供って、そういうことを非常に敏感に感じとります。
。。。。。。。。。。中略
ちゃんと抱いて子供を育てたら、子供はとても落ち着いた思いやりの深い子供になります。
ところがちゃんと抱かないで育てると、自分は大切にされていない、十分愛情をもらっていないと思うんです。
すると母親から愛情を取らないといけない。
母親が食事を作るのに忙しくしていると、「ねえねえ、お母さん」と子供がうるさくして、自分の方に振り向かせる行動を取る。
母親はそれがうるさいから、「うるさいから向こうに行っててよ」と言う。
そうすると自分は愛されてないと思って不安になってまた何かする。
この悪循環になってどんどん不安になって、最後は悪さするようになってきますね。
子供が物を壊したり怪我したりする時、母親が、「この子は自分が愛されていないんじゃないかと思って不安になっている、これは自分が間違っている」と思って、子供を大切にしようと抱っことかしてあげれば、子供の不安も解消できて素直になるんですけど、普通はそうは受け取らない。
「この子はわがままだ」と思って叱るんです。
親が「本当にわがままだ」とか「グズだ」とか「悪い子だ」とか言うと、本当に悪い子にどんどんなるんです。
それを子供が本当に愛情を要求しているという風に受け取って、母親が改心して十分に愛情深く育ててやると、子供はいい方に変わっていくんです。
子供は母親が本当に喜ぶということを、よくやってくれているものです。
ここを絶対に見逃がさないことが大切です。
母親が洗濯物を片付けていると、そばでは子供が子供なりに片付けています。
それは母親からは散らかしてる様にしか見えないものですね。
でもそこでちゃんと意を汲んで、「ああ、この子は私がやっていることを手伝ってるんだな」と思って、「ありがとう」と言ってやるのです。
そしたら子供はどんどんと手伝うようになる。
そして母親や父親にこういう風に聞いたりします。
「ねえねえ、お母さん、こうやったらお母さん助かる?」「凄く助かるよ」と言ってやる。
母親も、「この子は思いやりのある子だな、優しい子だな、人のことが気遣える子だな」と思うでしょ。
思えたら隣同士で世間話しているような時に、「この子はね、こういうことをしてくれるんです。
思いやりのある優しい子なんです」と、さりげなく言うんです。子供はちゃんと聞いているものです。
潜在意識にパッと入ちゃう。
そうすると思いやりのある子にどんどんなっていく。
本当に十分愛情深く育てたら、子供は必ず親を手伝うようなことをやる。
「優しい子だな」と親が本当に思う。
それをボソッと言う。
するとその性質がどんどん育っていって、とても思いやりのある優しい子になっていくんです。
ただ人を操作するためにやってはいけないんですけども。
5歳から6歳、7歳というのは、だんだん理性が発達して、物事の善悪が判断できるようになる時期です。
特に男親がやらないといけないのは、しっかりと善悪を教えることです。
子供の意志を尊重しながら、子供に選ばせていくことが大切です。
うちでは食べる物にかなり気をつけているので、添加物の入っている物は一切食べないんです。
でもうちの両親は、割と無頓着で、インスタントラーメンとか何でも平気で食べています。
全然違う家庭です。
こういう場合、私が「これは絶対に食べちゃいけないんだ」と子供に言ったら、子供の意志を侵害することになります。
「これは悪い食べ物だから食べてはいけない」と言ったら、子供の意志が育たないんです。
そうではなくちゃんと説明して、子供に選ばせないといけません。
そして子供には簡単な判断の方法を教えました。
食べるもの、水でも何でもいいですが、比べさせてみるのです。
非常に良い水と水道の水がある。
良い水の入ったコップを持たせて、「とも君、ちょっと持ってごらん」、次に水道の水の入ったコップを持たせて、「これ持ってごらん、どっちが体が楽?」といつも聞くんです。
良い水を持つと呼吸がとても深くなります。
腹まで息が吸える。
悪い水を持つとのどのあたりまでしか息が吸えなくて、浅い呼吸になるんです。
凄く簡単ですよ。
皆さんもやってみて下さい。
だからその食品が良い物か悪い物かはとても簡単に判断できます。
手に持ってみて息が深くなったら、ああこれは良い物だとわかる。
子供にいつもそうやって判断させています。
食べさせないわけじゃない。
「食べてもいいよ」と言うんです。
その代わり「ちゃんと調べてごらん、どうなる?」「こっちがいい」と選ばせてこっちを食べさせる、というようにしています。
味の違いがわかるようになるから、まずい物は食べなくなる。
「食べちゃいけない」と言ったら自由意志を侵害することになります。
必ず子供に自分で選ばせて、「こっちが良い」と選んだものを食べさせるようにすると、子供の意志が育つのです。
。。。。。。。。。。中略
うちでは文字とか算数とかは一切教えないで、子供の興味に任せています。
聞いてきたら教えるくらいです。
それより人間としてもっと大切なことを教えたい。
子供が、「ねえお父さん、日本人でとても貧しい人っているの?」と聞いたんです。
「いるよ、お父さんとお母さん、うちが貧しいんだ」と。
そして「うちがとても貧しい家庭だ」って答えました。
そしたら子供が驚いてましたね。
それで私がニヤリとして、「ここが問題なんだ。
とも君、うちは貧しいんだ、だけど不幸か?」と聞いたんです。
「全然」「そこが問題だ、貧しくても全然不幸じゃないだろ」「うん」「ところが多くの人はお金持ちだと幸福だと思いこんでるんだ、ちょうどとも君が上位だと愛されると思うだろ、それと同じなんだよ。
お金を沢山持ってると幸福になれると錯覚してるんだ。
でもとも君、うちは貧乏なんだよ、でも全然不幸じゃないだろ」「全然不幸じゃない」「だから関係ないんだ」と。
そしたら妻がポソッと、「お金持ちでも幸福な人っているのよ」って言ってましたけど。
それは確かにそうです。
そこが問題で、関係ないんです。
ところが大人は錯覚してる。
金持ちになって社会的地位を築いて豊かになったら、たしかに良家のお嬢さんと結婚できるかも知れない。
でも幸福になれるかは別でしょ。
官僚コースに乗れたら、いいとこのお嬢さんと結婚できるかもしれませんよ。
でもかえって不幸になるかもしれないし、不幸になるから浮気したりするんでしょ。
関係がないということは、官僚クラスの頭が良い人達ですらわからないんです。
これははっきり言って宿命的不幸です。
こういう錯覚をうちの子がしたら困るから、7歳の時に、「それは関係がない、お前が金持ちになろうが貧乏になろうがそんなことはどうでもいい。
幸福はそんなところにはない」ということをちゃんと教えたいんです。
それから上位とか下位とか、人と競争することが無意味であることを教えたい。
人間がどういう時に幸福を感じるかと言うと、万物との一体感を感じている時だと思いませんか。
例えば、子供が幸福感を感じるのは、母親に抱かれて母親との一体感を感じてる時なんですね。
恋人同士が本当に幸福だと感じるのは、手を握ってお互いのことを感じてる時なんですね。
ですから今を感じること、同じ場所にいる人と一体感を感じるその体験のことを幸福と言うんです。
そうすると、これをどんどん拡大していくと人間に限る必要はなくて、花とあるいは山と自然と一体感を感じられる人が居るでしょう。
それを感じ取れる人ほど幸福ですよね。
こういう人は大体詩人と言われる人達です。
だから子供にもそれを理解してもらいたい。
それを妨げるのは何かというと、差別感なんですね。
あの人達は愚かだとか、自分と彼らは違う、自分は上位で彼らは下位だとかいうその差別感です。
差別感があると一体感を感じられない。
すなわち不幸になっていく。
ところが教育から何から、差別感を植え付けることばかりをやってるんです。
そうすればするほど孤立していくんですね。
人間は幸福から遠ざかっていくんです。
私が子供に何とか伝えたいと思っているのは、全ての人間は本質的に平等だ、本質は同じだ、ということなんです。
人間だけじゃありません。
動物も植物も石も、全ての物が本質において同じだということを伝えたいんです。
よくうちでは子供が聞いてきます。
「アマガエルってとても偉いのかなあ?」「多分とても偉いと思う。人間はあまり自分のことがよくわかってないからアマガエルの偉さもわかってないんだよ。もしカエルと話が出来たらいろんなこと教えてもらうんだけど」という話をするんです。
私は子供に、苦しみの中に巻き込まれるような知識を教えるのではなく、本当に幸福になる為の知識を教えた方が良いと思うんです。
それは何かというと、差別感を無くす知識なんですね。
「本当は全てのものが同じなんだ、上も下も順位も無いんだ。この世界ではそれだと非常に仕事がやりにくいから、形の上で一応上司と部下が居る。でもこれは方便の世界で、本質ではない」ということをいつも子供に言ってるんです。
子供がこの世界で体験して自分で苦しんで、本当に心の底からそう思えた時に、子供は多分幸福になると思ってるんです。
だから私は、幸福になる術を子供に伝えようとしている。
ところが教育は逆をやっている。
どんどん不幸になって差別をして孤立化する方法を教えている。
「もっと頑張れ、階段を駆け上がれ、そしたらトップに立てる。
そしたら豊かな暮らしが出来る。それが幸福だ」と教えている。
でもだれも幸福になってないですね。
これが問題なんです。
私は教育が完全に誤っていると思います。
人間を孤立させて不幸にするためにやってるんじゃないかという気がするんです。
ですから私が子供に伝えたいことというのはそういうことで、算数とかそういうことではない。
じゃあ子供が算数とか出来ないかというとそんなこと無いです。
私は勉強は何にも教えないんです。
ところがこの前に、1足す3は4とかやってるんです。
3引く2が1とか1引く1は0と自分で勝手にやってる。
それで私が、「とも君、1引く2はいくら?」と聞いたら、「マイナス1」と言う。
私はゲッと思って、「1引く3はいくら?」と聞くと、「マイナス2」って言うんです。
星ひゅうまじゃないですけど猛烈に感動しましたね。
ノートを見たら9引く10はマイナス1と書いてある。
双六でずっと遊んで、そういう知識まで身についてる。
これは勉強は教える必要ないですね。
子供は勝手に学んでいくんですね。
それよりはもっと大切なことを教えてやること、それが私の言いたいことです。
(講演 1998年11月1日 1999年4月18日 福岡市)
。。。。。。。。。。一部抜粋しました。
ご紹介したサイトにもありましたが、子供をちゃんと作るとか育てるというのはもの凄く覚悟のいることで、仕事で成功することの方がよっぽど簡単だと思います。
なぜなら、親には代役がありませんし、全責任を負うことになるのですから。
子供を育てるという人生の中で体験できる、最大の重大なプロジェクトなのです。
けれど、自分に対する愛情不足を感じて、不安定のままで親になり、子供に愛情を与えるすべを見失っていたら…
この悪循環は止めなくてはなりませんね。
大人の心を癒す必要がある、親を救うために。
親の心身が安定することによって、自然に子供たちへと愛情がそそがれると思うのです。
助け合う方法を見つけたいです。
なごみでした
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